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(1) 子どもたちの「生きる力」をはぐくむには大人が変わらなければならない
(2) 農の持つ教育力―農村地域とともに開く学びの場
執筆 福島大学教育学部 鈴木庸裕

1 学生たちへの期待

 7月のはじめ、学生たちは自分たちで果樹農家と連絡を取り、リンゴの摘果作業(仕上げ)の体験に出かけた。6月にも数回、サクランボの摘葉作業に参加させてもらっている。今回も、作業をしながらあるいは昼食をとりながら、リンゴやサクランボ、桃の品種改良や果樹栽培の技術、一年間の様々な行程、そして流通から国際市場の現状や後継者問題などについて、農家のご夫婦と小学生の子どもさんやおじいさんおばあさんを交えて話をする機会があった。
 炎天下、脚立に登りながらの慣れない作業の中、仕上げ摘果ゆえにどの実を落としていいか迷いながらも農家の丁寧な指導で、はさみを持つ手つきも徐々にペースをつかみだし、彼ら彼女らは自信を持って作業をこなしていった。
 農家が家族ぐるみで学生たちの相手をしてくださる。初回にお邪魔したとき、学生たちは「初めて出会ったにもかかわらず、どうしてこんなに自分たちを受け入れてくださるのか」と感想をもった。その後、この「どうしてなのか」について、ある女子学生が一つのヒントを持ち帰ってきた。
 「果樹畑にいったとき、ご主人は小学校2年生の娘さんと一緒に作業をさせてくれました。娘さんは『学校の先生になる人が来るってお父さんがいってたよ』と言いました。このことから私たちに対する、期待や要望のようなものを感じました」と。
 こうした教育学部の学生(教師の卵)へのメッセージには、わが子や次代を担う子どもたちを託す親の思いとともに、農業や生産活動に関心を持ち何かを得ようとする青年への期待、そしてなによりも後継者不足や地域から青年層が減少する時代に、農作業空間を共有する青年との「将来への連帯」が原点にあるように思える。
 
写真1 果樹園で作業する女学生

2 地域に分け入って学ぶこと

 こうした果樹農家での体験は、福島大学教育学部の「教育実践学実習」のひとコマである。この実習は、1996年の春前に、教育学部の一教員である私(生活指導、学校福祉、ソーシャルワーク論が専門で、いじめや不登校、子育て問題に取り組んでいる)が町役場に出かけ、「田んぼを貸してほしい」と町長のもとに飛び込んで以来、6年目を迎える。
 「田んぼはみんなの広場」「米づくりがつなぐ人と人」を実践主題にして、5月の田植えから3〜4回の田の草取り、稲刈り、干し換えなどをすべて手作業でおこない(脱穀では少し千把こきを体験)、若手の農業者会との学習会、10月には村祭りや地元小学校の運動会へ参加し、12月初旬、地域への感謝を込めた収穫祭を企画運営している。
 こうした年間を通した取り組みを柱にして、それと並行して学生たちがテーマごとにグループをつくり思い思いに活動する。
 先に述べた果樹栽培もその一つで、他に、今年は郷土料理、地域の朝市(夕市)、酪農体験、地元小学校の行事への参加、地域の子どもの遊び場マップづくりといった学生主体の活動がある。
 昨年度までの例を挙げると、地場産によるリンゴジュースや味噌づくり、木の切り出しから行った炭焼き、わらじつくり、イナゴの佃煮つくり、水生動物の観察、子育てサークルとの交流、地域行事の歴史探訪など、多様な取り組みがあった。いずれも最初から実施対象を決めて出発したのではなく、米づくりや地域の行事で出会った地域の人々との会話のなかで、学生たちが「やってみたい」と感じたものをその都度お願いし、打ち合わせをして、いわば人づてに体験や学習の場をみずから広げながら実現したものばかりである。
 こうした学生たちの活動の広がりは、彼ら彼女らが地域全体を「学びの場」につくりかえていった軌跡でもある。教員のアドバイスや関係調整はあるものの、たとえば、一緒に田植えをした地元の小学生との会話の中で「うち、豆腐つくっているよ」の一声から学生の豆腐づくり体験に発展したものもある。
 
写真2 地元の子供たちといっしょに稲刈り

3 食農教育をいかに追求するか

 学習の場を自分たちの手で開拓していくとき、受け身としての学習者から主体的な学習者に転換する。このときに本物の「学び」があると考える。農業の体験学習には、田畑や小川や蛙の声といった自然環境や人との出会い、体験を通した生活文化や技術との接点がある。生産の場、生命誕生の場、遊びの場、交流の場、よろこびの場など様々な学習の場であると示されうるが、これらは現代人にとっての「癒しの場」のみに置き換えられるものではない。田植えと泥遊び、田んぼに通うことと株間で泳ぐおたまじゃくしの成長、高齢者や子どもという異世代の間といった、ある事柄と事柄の間にいる「自分」を発見する場である。複数の環境の間に自分がいることを発見し実感するからこそ学びの主体者になれる。ここに、地域における学びの源泉がある。
 現在、小学校の教壇に立つ卒業生は、「田植えの時、ニュルッとした土の感触が今でも忘れられない。今日の農業問題など世界の情勢が足の裏から伝わってくるような気がした」という印象を今でも感じているという。食と農が生活文脈の中で結びつきにくい青年にとって、いつもコンビニで買ってくるおにぎりと自分の手で育てた稲との間に立っているからこそ、食と農が結合してくる。
 その意味で、食農教育そのものの定義も、食教育や適切な食文化と農業体験や農業理解をつなぐ架け橋を指し示すものになるのではないだろうか。2002年度から総合的学習の時間が本格実施される。教育現場では、何をどうするかではなく、何々をこうするという実際性を持たねばならない。しかも学校教育でのカリキュラムとして一本立ちするには、明確な評価基準や達成目標の内容が求められる。これは狭義の食農教育の示し方であり、どんな評価や教育目標をたてるのかというその妥当性の判断には慎重さをともなうが、食農教育の概念ないし説明語句を明らかにしていく必要が迫られている。その際、食農教育には人と人、人と環境(生活、文化、社会)をつなぐところにポイントがある。
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