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TOP農への関心の高まりと新たな光の中で! > 3 作物作りの良さと課題(2/2)

家族そろって農業にとり組む幸せ

生きがいとしての農業……農業従事者一個人として

埼玉県越谷市 渋谷喜代治氏(59歳)を訪ねて

 500坪の鉄骨ハウスに足を踏み入れると一面に高さのそろったピンと葉を上に向けたほうれん草の絨毯の広がりに目を見張る。収穫間近の渋谷喜代治氏のほうれん草である。

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1 渋谷喜代治氏のほうれん草栽培の歴史

● 約30年前、後継者として就農

 渋谷喜代治氏就農前の家の農業経営は、夏場は露地でネギを中心としてキャベツと山東菜を組み合わせ、冬場はパイプ(ビニル)ハウスで春菊とキュウリを栽培し、東京方面へ出荷するというものであった。

● 化学肥料を大量に投入し多収を目指す

 そのころは化学肥料を大量に投入し多収を目指すという時代である。作物に吸収されず土壌中に残った肥料成分は露地であれば雨水によって洗い流されるが、温室やビニルハウス内では雨水の働きはないので残った肥料は土中に蓄積する。そこで温室内に多量の水を掛け流したり定期的にビニルをはがして雨水にあてるなどしていた。今にして思えば余分な肥料を使い地下水や河川水の富栄養化を招くなど全く不合理なことではあったが、時代の流れを反映した農法ではあっても高品質の野菜を作り続けた。

● 首都圏近郊の立地条件を生かして

 一方では、時代の先を読み、首都圏近郊の立地条件を生かして神田市場へ出荷するために、父はこの地方で最も早くトラックを購入した。市場では高品質の評判を取り最高値で取り引きされ、仲買人に広く知られるようになった。そして、高い栽培技術と安定した経営が認められ指導農家として地域の指導的立場にあった。

● 3年かかった

 やりたいことが見えてくるのに3年かかった。父のどっしりとした農業にとり組む姿をみて育った長男として、跡を継ぐことにためらいはなかった。しかし、いざ始めてみても最初の2〜3年はひたすら父の後につき農業を覚えることが中心であって、作りたいものが見えてきたのは更にそのあとだった。

● ほうれん草にとり組むこととした

 あたかも時は水田転作が奨励されていたときで、軟弱野菜のハウス栽培が普及していた。多くの農家は品種改良が進んで栽培しやすくなった小松菜に傾斜していったが、あえて栽培者が少なく夏場の高値と周年栽培によって経営の安定が見込めるほうれん草にとり組むこととした。

● 軌道に乗せるまでにさらに3年

 しかし、作り方がわからず何とか軌道に乗せるまでにさらに3年の年月を要した。今ある鉄骨ハウスもほうれん草を作るには大きすぎる造りではあるが、これは夏の暑い空気を逃がしやすくすることと屋根の内側に遮光ネットを張り室温を下げるとともに土を乾きにくくするためのものである。早朝の市場出荷のためには前日に収穫したほうれん草の鮮度を落とさないための予冷庫も必要だった。

● 有機質肥料を使おう

 鉄骨ハウスではビニルをはがすことをしないので、雨にあて土中の残存肥料を洗い流すという工程ができない。それでは父の栽培法を受け継いで化学肥料を使う栽培はできない。それならば、「土に帰る肥料として有機質肥料を使おう」と決意し、父の化学肥料を使う農法と決別して有機栽培とすることとした。

● 新たな施肥体系の確立にむけて

 かくして、ほうれん草の品質は落すことなく新たな施肥体系の確立にむけて、有機質資材として何をどのように使ったらよいかの試行錯誤が始まった。窒素源として菜種油粕、魚かす、ぼかし肥と変遷した。繊維質としては、5ヘクタール分のイナワラを稲作農家から購入し、これを生鶏糞と積んで発酵させ堆肥を作った。イナワラを我が家へ引き取る作業には多大な労力を必要としたが、やがてイナワラ自体が不足するようになり廃棄物となっている籾殻、粉砕籾殻へと代えていった。

● 窒素源は輸入飼料のサイレージの廃棄物を利用

 現在は、窒素源として茨城県鹿島港に陸揚げされる家畜の輸入飼料のサイレージ(サイロ中の餌を搬出後に残った廃棄されるもの、主に、ふすま・トウモロコシ・牧草、大豆、綿実など)、繊維質として菌床栽培椎茸の培地(培地にはサトウキビが使われている)を使っている。このように肥料は全て植物由来の堆肥のみを使用しているので、肥料成分の組成や成分量において不適切なところがないか懸念したが、土壌分析や生育上の問題も生じてないし、利用吸収するものも同じ植物であるのでこれで十分と考えている。

● 堆肥はコンクリート製堆肥槽3連に

 堆肥は、コンクリート製の間口12メートル、奥行き25メートルの堆肥槽3連に堆肥材料を時期を変えて積み込み、大型機械のバックホーで切り返し(撹拌し)ながら熟成させ、順次使いきる。当初は堆肥舎に屋根がなく雨が降ると堆肥成分が流れ出し河川に流出していた。このことは必ずしも違法であるとの指摘もなかったが、その後屋根を設置した。これにより堆肥成分の流出による地下水・河川の汚染防止ができ、肥料成分も倍以上の含有率を確保することもできるようになった。

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『堆肥舎』 屋根のある堆肥槽とない堆肥槽を堆肥の積みかえのときローテーション使用することにより、堆肥の発酵に必要な水分を雨水によって供給することができる。

● 1,600坪のハウスにほうれん草のみ

 現在の経営は、合計1,600坪のハウスにほうれん草のみ年7〜8作栽培。堆肥施用は春秋1回ずつで施用1回につき4作としている。これも施用した堆肥の成分が4作目までは持つが5作目になると肥料切れを起こすという所見により見極められたものである。踏みつけた土は固く締まるでもなく舞い上がるでもなく、ふんわりした感じであった。

● いろいろな失敗もあった

 有機質肥料による栽培もここまでくるまでにはいろいろな失敗もあった。菜種油粕は水を含ませて発酵させてから使うものといわれている。そこで、ハウス一面に撒いた油粕に散水した。夏季は高温によって油粕が素早く発酵してくれるからよいが、冬場では発酵が遅く種まきが大幅に遅れ作付け計画が大幅に狂ってしまったこともあった。また、種まきの間隔と種子量の計画を失敗したことから収穫が間に合わず、伸びきったほうれん草を500坪ハウス半分刈り取って捨てたこともあった。そのときの夫婦二人で夜通し刈り取り作業をしたこと、そして寝返りが打てないくらい背中が痛くなったことは、2度と経験したくないことであった。

● 人の繋がりが大切

 有機質資材の入手のためには農家仲間や産業廃棄物業者から情報を得たり必要なときには人手や機械も借りた。五感六感によって判断していた植物の生育や堆肥の成分なども数値で表せるようになったのは大学や試験場の先生とのおつきあいが始まってからである。積極的に出かけていくことにより人との繋がりができた。

● マーケットをつかむ

 出荷は、喜代治氏の代になって築地市場と取り引きをすることとし、年間を通して毎日出荷する。一部、デパート、地元のスーパーストアへも出荷する。出荷のたびに担当者と会話を交わし、作柄・出荷計画・評判などについて情報の提供と収集に努めてくる。「市場を通しての販売であっても単に出荷物を置いてくるだけでなくコミュニケーションをとること、高品質の生産物を休むことなく出荷することなどが信用を得、よい評価につながる」と渋谷喜代治氏は語る。

● 最近、味が落ちたね

 ある時仲買人から「最近、味が落ちたね」と言われた。良く聴いてみると「お宅のほうれん草を使ってくれる料亭の話なのだが『お通しとして使っているが、このところ3日ほど食べ残しが出ている』といわれた」ということだった。そのときのほうれん草の栽培の経過を振り返ってみると、増築したハウスに初めて栽培したもので堆肥が足りなくなった分を化学肥料で補った。収穫物の外見は変わらなかったのでそのまま出荷した。その場では「従来のほうれん草の出荷にもどれば味ももどる」と説明し、実際そのとおりとなった。一時的に品質低下の迷惑をかけることとなったが、反面、自分の栽培に改めて自信をもった。

● 生でも火を通してもどちらにもつかえる

 あるレストランからは「最近のサラダほうれん草は生で食べるにはよいが火を通すと姿が崩れて出せない。普通のほうれん草は生では食べられない。お宅のは、生でも火を通してもどちらにもつかえる」という評価をいただいている。また、仲買人からは「お宅のは日持ちがするから売り急ぎしなくてよい。安心してじっくり売れる」と言ってくれる。幸いなことに市場における最高値の位置を維持し続けている。

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ほうれん草の周年栽培をしています。
新鮮でおいしい、ほうれん草をぜひ食べて下さい。

● 担い手を育てる

 栽培法は全く異なってはいるが父の経営をしっかり受け継いだ渋谷喜代治氏も、指導農家として父の後に続いた。若き担い手育成のために農業大学校等から毎年農業研修生を受け入れ、その数は30名を超えた。年1回のOB会では新旧の研修生が庭先でバーベキューとビールを楽しみながら、旧交を温めネットワーク作りに役立てている。このOB会は開放的で気さくな雰囲気があり、ここで研修してない友人も誘われ新たにネットワークに加わってきている。

2 母の加工品販売

 農協直売場グリーンマルシェが20年11月オープンした。ここでは野菜・草花・加工食品を販売している。近くに市営野球場・体育館があって人の目につき駐車場スペースも広いので買い物に訪れる人の数も多い。このオープンに合わせて自宅に菓子・漬け物製造の設備を整え、長年家庭で作り続けた田舎饅頭・山東菜の漬け物の加工販売を始めた。弁当のようなものも欲しいという依頼もあり赤飯で急遽対応した。今後、菓子類では餅・ケーキなども加え、漬け物では、近隣の農家が出荷しきれない季節の野菜を融通していただき品数を増やしていきたいと夢は大きい。母曰く「70すぎても年を取ってはいられない」と。新たな挑戦が始まっている。

3 父の歩いた道ダイジェスト

 夏場は江戸野菜の一つ千住ネギといわれた露地ネギを中心に、冬場はハウスものを作って神田市場に出荷し、専業農家としての経営を確立した。指導農家に認定され、農業面はもとより各方面のリーダー、世話役として活躍してきた。しかし、今は、それらの多くを渋谷喜代治氏に引き継いだ。父曰く「そんなに早くやめることはないと言われるがいつまでもやっていたら若い者が育たない。だから全部渡した」と。

 今は畑に出れば、直売にむけた人参・タマネギ・ネギ・キュウリ・トマト・ゴーヤなど多種類生産をしている。直売場では消費者と直接ふれあい、野菜談義・人生談義に花を咲かせ、新たな楽しみを見出している。

4 父から子へと着実に引き継ぐ幸せ

● 現金を見せられないようでは

 「市場から帰って現金を見せられないようでは、子供に後を継げとは言えない」というのは父の言葉である。渋谷喜代治氏は、父の農業に賭ける意気込みと自信に導かれるようにして農業後継者としての意志を固めていった。そして、父の野菜を見本としながらも、安心安全で日持ちがよく、美味でしかも見た目もよいというこだわり栽培を築いてきた。

● 小さい頃は農家だということを言えなかった

 渋谷喜代治氏の次女曰く「小さい頃は農家だということを言えなかったが、大きくなるにつれ、うちは頑張っていると思えるようになった」と。この次女はまた次のようにも言う「会社に勤めていたとき嫌いな仕事ではなかったが、ノルマに追われるのがいやだった。退職し農業をやるようになって、仕事が見えるし無心にできるのがいい」と。

● 跡継ぎを考えなければならないと思ってはいたが

 渋谷喜代治氏曰く「次女がともかく家で農業を始めてくれて、もしかしてこの子が跡を取るようになるのかなと思っていた。ところが、去年の夏、長女が農業研修生OB会に男性を連れてきた。秋になったら二人でやってきて、結婚させて欲しいと言った。娘は長女なのだが、家に入ってくれるのか、外に出るのかと問いただしたら、家に入ってくれると言う。そろそろ跡継ぎを考えなければならないと思ってはいたが、こんなに急に決まるとは思っていなかった。となると住むところも作らなければならないし、一家族分の収入を増やさなければならない。ほうれん草を経営の柱にすることは変わらないが、ハウスをもう一棟建てるかどうしようか。後継者がたくさんできてしまってうれしい悲鳴だ」と。

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私たちが、真心こめて作っています。

● 何よりもうち中で楽しく働いているのがいい

 喜代治氏の長女曰く「長女だから農家をやるんだと言われていたこともあったが、農家はやりたいと思っていた。妹も皆でやればいいと言っていたし、私もそう思う。一所懸命やればやった分だけ返ってくるし、何よりもうち中で楽しく働いているのがいい」「父はいつも働いている。暇さえあれば働いている。父を中心でみんなが動いている」と。実際、バスで視察団が来る、職場体験も受け入れる、そのほか諸々人の出入りがあって家の中が活気にあふれている。このようなところが「楽しい」と目に映るらしい。

● 結婚後初めて種を蒔かせてもらった

 長女の夫君もそれまでの仕事を退職し、結婚した。敷地内に住む場所ができるまで通勤農業である。曰く「すごい人だと思った。今は、しっかりと農業を覚えたい。将来はもっと大きくしたい」と。結婚後初めて種を蒔かせてもらったほうれん草が年が明けて収穫期に入った。新しい母と義妹と一緒に収穫に勤しんでいる。今は通勤農業だが昼食は一緒に食べるし土曜日の夕食は一緒にビールを飲み食事をしてくつろいでから二人そろって帰っていく。客扱いはされずにすっかり家族の一員になっている。

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ほうれん草 個包装形態
400g束  200g袋入り

5 将来への楽しみ

● 地域にはたくさんの消費者が

 越谷市は埼玉県東部にある人口約32万人の都市で、日光街道の江戸から数えて3番目に位置する宿場町であった。平成20年日本最大と言われるショッピングセンターが開業するなど活発な商業活動が展開され多くの人が集まる。

 喜代治氏はこの地における農業経営を次のように展望する。「地域にはたくさんの消費者がいてその消費者は安心安全への志向が高く農業や自然への回帰を求め、JAや市当局は生産者と消費者とを結ぶ取り組みとして直売店を作るなど有利な条件が整っている」と。

● それぞれの分野をしっかり軌道に乗せて

 そして、父から続いた首都近郊の立地を生かした市場出荷を経営の柱に据え、家族が増えたことを有利に生かした複合的な経営を展開したいと考える。母の食品加工には長女をパートナーとし、父には直売や加工のための野菜生産、長女の夫君には当面農業についてじっくり学んでもらいながら例えば土作りの一環としてスイートコーンや秋野菜の栽培をやってもらい、将来的には本人の考え次第ではあるが興味があればイチゴなどの観光農園的なことも考えられる。それぞれの分野をしっかり軌道に乗せて法人化していきたい。まだまだのんびりしていられない。

 父から子へ、子から孫へと土地の上で繋がる暮らしの中に人としての幸せがあるように見えた。ここまでくるにはいろいろあったことは想像に難くないが、それを表に出さず「親が元気にやっていると子供もやるものだ」という喜代治氏のさりげない言葉が印象的だった。

(取材者:梅林寺 斉)

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