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2 農をめざす若者の姿

〔手記〕農業とわたし

東京都昭島市 港 久子

農業との出会い

 私が農業と出会ったのはいつだったのか、思い返してみると大学で出会った畑サークル「岡上農園」がきっかけだったように思います。

 とはいっても確かに大きなきっかけは大学のサークルかもしれませんが、もっと小さな頃、物心ついた頃からの自然とふれあう時間の積み重ねが「私と農業」を結びつけてくれた気がします。

長野が好き

 母の実家は長野県の大岡村という地で、本当にど田舎の自然が豊かなところです。赤ちゃんの頃から毎年夏休みになると、家族で祖父の家に長期滞在し、大自然の中でよく遊びました。私は長野に行くのが大好きでした。夏休みが楽しみで、長野に行く日には父の帰りが待ちきれず、外に出て父の帰りを待っていた程でした。今でも覚えているのは、東京から高速道路に乗って大岡村に着いたとき、車の窓を開けた瞬間に飛び込んでくる田舎のにおい、虫の音、澄み切った空気に触れる瞬間の何とも言えない気持ちよさと心地よさ。体に刻まれているその感覚は大人になった今でも、ふと思い出すことがあります。早朝のアルプスを見たり、岩清水を飲んだり、軽トラの後ろに乗せてもらったり、親戚のおじさんが兼業で作っていたピーマンの袋詰めを手伝ったり、東京では出来ない経験をたくさんさせてもらいました。そんな幼い頃の自然の中での経験が、私の中に土と関わって生きていくことへの特別な思いを作り上げたのかも知れません。

大学での畑サークル

 大学での畑サークルでは、地主さんから貸していただいた畑で野菜を作り、時には校内で野菜を販売したり、みんなで料理をして食べたことがとても楽しい思い出として残っています。けれども畑が学校から少し離れた丘の上にある為かなかなかみんなが畑に来てくれなかった時もあり、部長としてどうしたらみんなが畑に来てくれるのだろうか、とても悩んだこともありました。野菜を作るだけではなく、できた野菜を使ってみんなで料理をする時間や、できた料理を囲んで皆と共有する時間を積極的に作っていくことによって徐々にサークルが楽しくなってきたのを覚えています。

就職活動の季節、農業を選ぶ

 大学4年になり就職活動の季節がやってきました。その頃の私は「農業をもっと勉強をしてみたい」と強く思っていたので、就職することは全く考えずに卒業後は研修に一年間通うことに決めました。農業でも有機農業を選んだのは、何か特別な思いがあったわけではありません。ただ食べるものは安全で当たり前という気持ちから農薬は使いたくない、土づくりからの農業を学びたいと自然に思ったので有機農業を選びました。

有機農業の研修を

 大学卒業後の春からは所沢で有機農業を30年程されている「田中農園」に自宅から通う形での研修がはじまりました。草取り、種蒔き、収穫、配達、鶏のお世話、堆肥の作り方、耕耘機やトラクターの乗り方など四季を通して変わりゆく有機農業の研修は本当に新鮮で毎日がとても充実した一年間でした。研修が半年ほど経った頃、私たち研修生の畑を用意して下さりそこで自分たちだけで野菜を作ってみると、思い通りに作れず野菜作りの難しさや奥深さを学ぶことが出来ました。研修で得られたものは農業の技術ばかりではありません。その年一緒に研修した仲間(三宅さん、伊藤さん)は今でもよき相談相手であり、また尊敬できる農業の先輩でもあります。

農業を学びにニュージーランドへ

 研修が終わると一年間ニュージーランドへ農業を学びに行きました。お金も無かったので、農家を渡り歩いて旅をしながら農業を勉強できるWWOOF(ウーフ)という制度(農作業を手伝う代わりに宿と食事を提供してもらうシステム)を利用し一年間で20箇所あまりの農家にお世話になりながら、ニュージーランドを一周しました。英語を使って初めて出会う家族と一緒に生活することは予想していた以上に大変で一人泣いたこともありました。農業の勉強もそうですが、外国で生活してみると今まで知らなかった自分の一面や日本のことを客観的に学べた気がします。旅の間に出会った色々な国の友達は今でも時々会います。たくさんの人との出会いも大きな収穫でした。

土地探し

 帰国後いよいよ自分の土地探しに取組みました。まず自分が住んでいる昭島市で借りられないか、近所の農家を回って声をかけてみたり、市役所で相談しましたが、土地は余っていてもなかなか新規就農者には貸すことができないと言われました。そのとき、父がお世話になっていた、あきる野市のお寺のご住職に相談したところ、空いている畑があるとのことで喜んで土地を見に行きました。民家から少し離れた山の斜面にある「加茂原」という地名で、猪と猿などの鳥獣対策の電気柵の中にある畑でした。面積は150坪あまりの土地でしたが、東京と思えない程の素晴らしい眺めに感動し、何よりやっと自分の畑がもてる!という嬉しさで、すぐにそこを貸していただくことに決めました。

いよいよ野菜作りのスタート

 しばらく何も作っていなかった土地なので、草や石を取り除くのに友達や近所のおじさんに手伝っていただきながら家から35分、ほとんど毎日のように通って、畑が使える状態になるまで約2ヶ月かかりました。耕耘機は地主さんの御好意で貸していただき土地を耕して、種を蒔く準備が整いました。「田中農園」で習ったことをまとめたノートを見ながら、3月下旬よりジャガ芋の植えつけ、小松菜、春菊、ホウレン草、チンゲンサイなどの種を蒔きました。初めは防虫ネットが無かったために発芽してもほとんど虫に喰われてしまい悔しい思いをし、すぐに防虫ネットを買ってきて蒔きなおしをしました。

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はじめての収穫

 はじめて収穫した野菜は、まず地元昭島の近所の方に食べていただこうと思い、「有機農業をはじめたので、味見をして下さい。」という気持ちで持っていきました。すると早速その夜に「とても美味しくてびっくり。売って下さい!」と電話がありました。自分がはじめて作った野菜を誉めてもらえたことが本当に嬉しかったのを覚えています。野菜に値段をつけるのがとても難しいというか、自信がなくて最初はお金をいただくことが恐れ多い気持ちでした。

 1年目は要領もなかなかつかめずバイトもしながらほとんど毎日畑に行く生活でした。畑が狭いので連作障害を出さないように、どこに何を植えようかを考えるのが大変でも巻尺と紙をにらめっこしながら畑でじっと考える時間が多かったと思います。1年目はいろいろな野菜を多種類作りたくてケール、アピオス、ウコン、など珍しい野菜に挑戦しましたが、なかなかお客さんは買ってくれず、作りやすく良く売れる野菜を作っていこうと決めました。少しずつお客さんを増やしながら1年目は比較的野菜が上手く作れました。また、自分で作った野菜で料理をすることが楽しくて、愛情がつまっている分味も格別です。

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紅葉と収穫

お客さんとのきずな

 配達は毎週金曜日、畑から帰ってきて夕方から車で近所を回ります。その時に、採れた野菜を袋詰めしてセットにして持って行きます。種類が少ない時は3種類、多いときには10種類以上、季節によってできる野菜の種類もまばらなのに、お客さんはほとんどのものを買って下さいます。露地栽培だと周年きらさずに作り続けるのが難しく、2月3月は出す野菜がほとんどなくなります。春の収穫まで待っていただき、また配達を再開しても快く買っていただけるのが有りがたいです。

仲間とともに

 私の畑には、毎週野菜を買ってくれるお客さん以外にもたくさんのお客さんが訪れます。大学の友達がきたり、ニュージーランドでお世話になったウーフホストのおじいさんや韓国やフランスの友達がきたり、バイト先の友達が堆肥作りを手伝ってくれたり、中でも面白いのはパクチー(香草)を世に広めようと種を配っている佐谷さんとの出会いがあり、私の畑でもパクチーを栽培することになりました。

紅葉と収穫すると初めて出会うパクチー協会の会員の方々が畑に訪れ、パクチーの収穫祭や種とりやジャガ芋堀をイベントとして立ち上げることが出来ました。初めて出会う人と畑で共に農に触れあう経験はわたしにとってもとても新鮮でたくさんの人が農に興味を持っていることに驚きました。

農業の魅力

 野菜作りを始めてから感じたのは、1年過ぎるのがとても早いこと。ジャガ芋の植え付けから始まって、夏野菜の植え付け、少し涼しくなったら秋野菜の蒔き付け、落ち葉集め、堆肥作りと1年のサイクルがあります。季節の移ろいを体で感じながらながら季節に会わせた野菜を作り食べる。季節と共に暮らしていける、自然に生かされている、農業の魅力に気づいた1年目でした。

地元小学校で農業について話す機会を

 作業の要領をつかめてきた2年目、畑に行く回数も少し減りました。ところが1年目に上手く作れた小松菜、ホウレン草、白菜、大根が上手く作れずに、虫にやられたり、病気になったりして大きくならず、野菜作りの難しさを思い知らされました。また、この年の冬、地元の小学校から農業の授業をしてもらいたいというお話しをいただき、3年生の総合学習の授業でお話しをする機会を得ました。授業がはじまるまではとても緊張しましたが、始まってみると子ども達の興味津々の眼差しに助けられながら、何とかお話しすることができました。子ども達は、野菜を目の前にすると目を輝かせてよく聞いてくれて、「こんなに興味を持って聞いてくれるの?」と私自身驚きながらの授業となりました。

 今年で畑も3年目。いつ何を植えたらいいかを体が覚えはじめたのか、本を見なくてもわかるようになってきました。それでもまだまだ失敗が多く、「来年はもっとこうしよう」とノートに記録しながらやっています。

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小学校での授業

地元の人とのつながり

 私の畑の回りには、同じように畑をやっている方がたくさんいます。でも、20代は私だけ。60歳から90歳のおじいさんまで年齢層は幅広く、畑に行けば必ず誰かと長話になります。時にはお昼に家に招待していただいたり、野菜をお裾分けしていただいたり、私のようなよそ者にも良くしていただいています。普段はそんなにつながりが無いので、地元の人たちとのつながりも畑に行く楽しみの一つになってきました。今では、あきる野が自分の古里の様です。

これからも

 今はアルバイトを2つしながら、野菜を売って収入を得ています。農業とは呼べないくらい野菜の収入は少ないけれど、それでもお客さんとのつながりが楽しくもっと喜んでもらえるような野菜を作れるように日々研究して行きたいです。今は、経済的にもきびしく、何度も「畑を手放して就職した方がいいかな」と悩んで来ましたが、それでも結局「農から離れることはやっぱり無理!」という結論になります。これからの目標は、結婚をして子育てをしながら野菜もそだてていくこと。結婚をして自分で生活しながら農業について考えてみたいと思います。畑という場所で子どもや人と繋がって行けたらいいと思います。

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